前回のブログで「歌手への夢は小6で打ち砕かれたがそれについては後日」と宣言したからには、その詳細を説明しないと約束破りになってしまうので、今回は私の古傷、黒歴史について書きたいと思う。

意識低い系母親のおかげで子供の頃いっさいピアノなどの習い事をさせてもらえなかった私。小学校の音楽の授業で唯一自信を持って臨めたのが歌だった。具体的に何を歌ってどう褒められたかなどの記憶はあいまいだが、根拠もないのに自分は歌が得意な方だと思い込んでいた。

小学校6年生の頃、地元北海道のSTVラジオで日曜の昼間に素人ののど自慢大会を生放送でやっていた。予選などは無く、運よく抽選に当たった私はその番組に出場することになった。ちなみに、その日のゲストはアイドル・ロックグループ”チャコとヘルスエンジェル”だった。

記憶はおぼろげだが確か5人の女の子が参加し、私が唯一の小学生だった。普段はスージー・クアトロなどの洋楽を主に聴いていたが、このときばかりは可愛らしさアピールで伊藤咲子の『ひまわり娘』を黄色いワンピースを身にまとい歌った。リハーサルも無く、ぶっつけ本番だった。現在のようなボイトレメソッドが存在したかどうかは知らないが、発声練習すらせずに臨んだ私は緊張のあまり散々な結果だったことだけは覚えている。

場を白けさせないために、審査委員長の“ササッパラ”ことSTVの当時の看板アナ笹原嘉弘氏が何かおちゃらけたコメントを言っていた。「穴があったら入りたい」というのはまさにこのことだった。

参加賞の千円分レコード券は、すぐに中村雅俊『ふれあい』とグレープ『精霊流し』のシングルレコード2枚に化けた。そして二度と人前で歌うもんかと心に誓った。

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山口百恵、桜田淳子、森昌子の”花の中3トリオ”や岩崎宏美、ピンクレディー、中森明菜などを輩出した日本テレビの伝説的オーディション番組『スター誕生!』のターゲット世代ど真ん中の私だったが、ひと足先に「死屍累々のうちの一人」を経験したおかげで、アイドル適齢期に芸能人を目指すという(そのために勉強をおろそかにする)最もコスパの悪い無謀な人生コースを歩まなくて済んだとも言える。

当時のアイドルはブリブリのフリフリのミニスカート必須だったし(ミニは今もか)、『オールスター水泳大会』ではビキニ姿で歌わなけりゃならないし、運よく売れても落ち目になると「あの人は今」ネタで扱われる。地道な社会人になって正解だった。

って、こういうのを英語で”sour grapes”って言うのよね。

佐々木美智代(ジャズシンガー)

 

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