最近、郷ひろみの『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』を久しぶりに聴いていて、ふと「あれ?」と思った。この曲、コール・ポーターの『Night and Day』に似ていないだろうか。
最初に断っておくと、筒美京平が『Night and Day』を参考にしてこの曲を書いた、という資料を私は知らない。だから、これは「元ネタを発見した」という話ではない。ジャズ・スタンダードと昭和歌謡の両方を聴き、歌ってきた一人の歌い手として二曲を聴き比べてみたら、思いのほか共通するものがあることに気づいた、という話である。そして私が最初に引っかかったのは、「Night」というタイトルではなかった。メロディーだった。
『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』は1979年発表。作詞・阿木燿子、作曲・編曲・筒美京平。私が「あれ?」と思ったのは、サビの「春の夜は〜 ナイヨ・ナイヨ・ナイト」という部分である。ここを聴いていて、コール・ポーターの『Night and Day』のある箇所が突然頭に浮かんだ。
“Night and day, under the hide of me”
私には、この二つのメロディーがとてもよく似て聞こえる。もちろん、音符をそのまま移したような引用ではない。しかし実際に二つのフレーズを続けて歌ってみると、旋律の大きな輪郭、音の伸び方、フレーズの呼吸に共通するものを感じる。そして興味深いのは、似ているのが旋律だけではないことだ。二つのフレーズが、それぞれの曲の中で果たしているドラマ上の役割まで似ているのである。
どちらも、ここから男の「内側」へ入っていく
『Night and Day』は、表面上は非常に洗練された都会的なラブソングである。ところが “Night and day, under the hide of me” と歌われるあたりから、歌は次第に主人公の内側へ入っていく。相手を思う気持ちというだけではない。抑えていた情念や欲望が、表面を突き破るように現れてくる。
『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』も、どこか似ている。前半の主人公は女性や恋愛に対して斜に構え、余裕を見せている。ところが「春の夜は〜」から空気が変わる。夜になると心が騒ぎ、頭の中には官能的なイメージが浮かぶ。つまり二曲とも、都会的な男の余裕と抑制から「夜」を境に心が騒ぎ始め、内側に隠れていた情念や欲望が現れる、という展開を持っている。しかも、その感情が一段深くなるところに、私にはよく似て聞こえる旋律が置かれている。
もう一つ気になる、「一度しか現れない導入部」
しかし、私が『Night and Day』を連想する理由は、サビの旋律だけではない。『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』の冒頭には、「迷惑なんだよ〜」から始まる独立した導入部がある。このセクションには非常に特徴的な点がある。一度歌われるだけで、その後二度と同じ音楽が回帰しないのである。 一般的な歌謡曲のAメロなら、1番、2番と歌詞を替えながら同じメロディーが繰り返されることが多い。ところが、この「迷惑なんだよ〜」からの一連のまとまりは違う。曲の冒頭に一度だけ現れ、役割を果たすと、その後は戻ってこない。私にはこれが、アメリカン・スタンダードにおける introductory verse(ヴァース) を思わせるのである。
『Night and Day』にも独立したverseがある
ジャズの演奏ではこのverseが省略されることも多く、私たちが普段『Night and Day』として演奏するのは、その後の chorus(コーラス)――日本のジャズの現場でいう「テーマ」 の部分である。verseはその前に一度だけ置かれ、chorusに入ると通常そこへは戻らない。
『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』で私が注目しているのは、本体とは性格の違う独立性の高いセクションが一度だけ現れ、その後二度と回帰しない、という点である。その構造感が、ジャズ・スタンダードを歌ってきた私の耳には、どうしてもintroductory verseを思わせる。
二つの別々の場所で『Night and Day』が聞こえてくる
ここは今回の比較で最も重要なところなので、整理しておきたい。私が『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』に『Night and Day』を感じるポイントは、一つではない。
まず、「迷惑なんだよ〜」から始まる一度限りの独立した導入部が、スタンダードにおけるintroductory verseを思わせる。そして、それとは別の場所で、「春の夜は〜 ナイヨ・ナイヨ・ナイト」というサビが、“Night and day, under the hide of me” と旋律的に似て聞こえる。さらに、その部分から主人公の内面的・官能的な世界が前面に出てくる。そして両曲の重要なキーワードが「Night=夜」である。
一つ一つを取り出せば偶然かもしれない。しかし、性質の異なるこれらの共通点が一曲の中に重なって存在しているとなると、どうしても気になってくる。
明るいのに、どこか翳りがある
さらに『Night and Day』は、和声的にも独特な曲である。基本的にはメジャーの曲でありながら、クロマティックな進行や減和音、短調を思わせる響きが入り込み、明るさの中に絶えず翳りが差す。
私は以前から、筒美京平の作品にある、メジャーとマイナーの間を行き来するときの、なんとも言えない切なさがとても好きだった。具体例としては、同じく郷ひろみの『モナリザの微笑』における「♪どうして僕の瞳避けて通るの」の部分や、オックス『スワンの涙』における「♪遠い北国の湖に」のメロディラインである。
『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』のサビにも、単純に明るいアイドル歌謡とは違う、どこか妖しく、切なく、官能的な色がある。それも、私の耳が『Night and Day』を連想した理由の一つなのかもしれない。
筒美京平の原点にはジャズがある
ここで筒美京平の音楽的バックグラウンドを考えると、この比較がさらに興味深くなる。筒美京平は大学時代、本格的にジャズに取り組んでいた。その後はレコード会社で洋楽ディレクターを務め、そこから作曲家となった。つまり、筒美京平の音楽的な根には、ジャズと洋楽がある。
そんな筒美京平が、コール・ポーターの代表的なスタンダードである『Night and Day』を知らなかったとは考えにくい。しかし、筒美京平本人がこの2曲の関係を語った資料を、私は今のところ知らない。だから「引用」「元ネタ」と断定することはできない。
ただ、若いころにジャズを聴き、演奏する中で身体に染み込んだスタンダードの語法が、何年も後にまったく別の歌謡曲の中で、別の姿を取って現れることはあり得るのではないだろうか。
歌詞にもコール・ポーターを思わせる世界がある
そして、ここからは筒美京平ではなく、作詞した阿木燿子の領域になる。『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』には、踊る店を舞台にした場面が登場する。都会の夜、音楽、ダンス、男女の出会いと駆け引き。それを聴いていると、私はコール・ポーターの別の曲、『It’s All Right with Me』の世界も連想する。
コール・ポーターの作品にはしばしば、都会の社交空間、ダンス、洗練された男女、表面上の余裕、恋愛の駆け引き、そしてその下に隠れている官能、という世界が現れる。『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』にも、どこかそれと似た匂いがある。
もちろん、阿木燿子が『It’s All Right with Me』を意識して詞を書いたという証拠はない。ただ、阿木燿子の詞と筒美京平の音楽が組み合わさった結果として、私の耳には不思議なくらいコール・ポーター的な都会の夜が立ち上がってくるのである。
オマージュなのか、偶然なのか
今回、この二曲を結びつけた既存の評論がないか探してみたが、今のところ私は見つけられていない。考えてみれば、それほど不思議なことではないのかもしれない。歌謡曲に詳しい人が、コール・ポーターのスタンダードを実際に何度も聴くとは限らない。逆に、ジャズに詳しい人が、1979年の郷ひろみのシングル、それもセールス的にはパッとしなかった曲を、冒頭の構成やサビの旋律まで注意深く聴き込むとも思えない。
私はジャズ・ヴォーカリストとしてスタンダードを歌う一方、子どものころから筒美京平の歌謡曲にも親しんできた。だから、二つの世界がある瞬間、耳の中でつながったのかもしれない。
何より面白いのは、私が最初から「Night」という共通語を探していたわけではないことだ。『ナイヨ・ナイヨ・ナイト』を聴いていて、「春の夜は〜……あれ? これ『Night and Day』に似てない?」と思った。それがすべての出発点だった。
そこから改めて聴き直してみると、一度しか現れないintroductory verseを思わせる導入部、「春の夜は〜ナイヨ・ナイヨ・ナイト」と “Night and day, under the hide of me” の旋律的な類似、夜とともに露出してくる男の情念、明るさの中にある翳り、そしてタイトルの「Night」と、次々に共通点が見えてきた。 筒美京平が『Night and Day』を意識して、作品の中に何かを忍ばせたのか。若いころ身体に染み込んだジャズの記憶が、無意識のうちに別の姿で現れたのか。それとも、すべては偶然なのか。
今のところ答えは分からない。
「夜のヒットスタジオ」から。冒頭のガムを吐き出すシーン、最後のタバコに火をつけるシーン。現代では考えられませんね(笑)



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